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vol.45Special Interview

関 文 彦 氏株式会社関家具代表取締役社長

社員の意欲や発案で環境変化を乗り越え企業として生き残る

今日、企業の事業環境の中で新たな視点で未来を創る事業を興すー。いくつかの時代を見てきた経験深きビジネスリーダーは、どのような視点で、〝現在〟という時代を見ているのだろうか。大川の家具業界において、《メーカー~卸売業~小売店》という垂直統合経営で独自のビジネスモデルで異彩を放つ株式会社関家具の関文彦社長に創業の経緯をはじめ、企業経営の転換点、さらに新世代へのエールを聞いた。

プロローグ
大川で家具産業が勃興した理由と関家具について

九州最大の河川・筑後川の河口に位置する大川は、日本有数の家具産業の集積地だ。大川は古来、筑後川上流の木材産地・日田から川を下って来る材木の集積地だった。戦国時代に船大工の技術を生かし、指物(家具)を作ったのが大川家具の始まりだ。その後、江戸時代に家具づくりの礎ができ、明治維新後に木工技術の分業化が進み、第二次大戦後の機械化で一大産業に成長して、大川家具は全国的な知名度を獲得した。

ピーク時に1000億円を超えていた大川家具の生産額は現在、300億円台となったが、現在では家具製品の国際化や商品アイテムの拡大にともなって、大川は家具物流の一大拠点となっている。その大川で、トラック1台で創業した関文彦・関家具社長は、独自に構築した《メーカー〜卸売業〜小売店》の垂直統合経営モデルで大川の家具業界で今日の地位を築いた。

巨木な丸太そのままの姿を残して製作したテーブルをはじめ、一枚板の新たな魅力を発信する関家具のショールーム『A T E L I E RMOKUBA 博多ギャラリー』(福岡市博多区住吉2-1-1 )

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昭和期に大川で創業した原点
既存の大手卸売に対抗する創業期のビジネスモデルとは

高校を卒業した関社長は久留米のふとんや家具を取り扱う小売店に住み込みで働きながら、福岡大学商学部第二部に進学。7年間の経験を積んでトラック1台で事業を起こした。

「創業時、お金が無かったので、元手を必要としない卸売業で独立しました。私自身は創業して間もない頃に大手卸売業との差別化を図るため、仕入先の大川の家具メーカーと販売先の家具店がともにメリットがある即金払いで卸売を始めました」

「当時、《メーカー↓卸売業↓小売店》での流通の場合、例えば卸売業がメーカーから1万円で仕入れると、小売店に運賃込みの1万2500円で卸し、その支払いは手形だったために家具メーカーが、現金を手にするのは5〜6カ月先でした」

「創業間もない私はメーカーに《12時間だけ信用してほしい》と朝、仕入れた家具をトラックで家具店に運び込み、その場で現金を回収して、その日の夕方に仕入先のメーカーに現金を届けました。現金で当日払いする分、通常の1万円でなく9000円で仕入れることができ、小売店にも運賃込みで1万500円と割安で販売して、喜んでいただき、〈利は元にあり〉を実感しました」

〝家具のまち〞大川で生まれ育った関社長にとって、大川で家具関連の商売をするのは、ごく自然なことだった。折しも高度経済成長期で流通革命が叫ばれていた時代であり、関社長は中間マージンを抑えたダイレクト販売を通じて、「家具で日本中に羽ばたく」という青雲の志を抱いての独立だった。

経営者人生のターニングポイント
税務署との約束での法人化と一大転機だった米家具業界視察

「社長は一年365日ハードワーク」を信条とする関社長は創業以来、持ち前の頑張りで大いに事業を伸ばした。その一方で、当時なりにきちんとやっていたつもりだった経理面で税務署と課税を巡って丁々発止のやり取りをしたこともあった。その結果、税務署と「明朗な会計・納税」という〝約束〞を交わし、家業から企業への脱皮となる法人化で誕生したのが、「株式会社 関家具」だった。

「それまで一日一日をどうやって切り抜けていくかで精いっぱいでした。法人化は、私にとって大きな エポックメーキングでした。法人化が契機になって、一緒に働く社員の満足や顧客の満足、さらに地域社会への貢献などを考えるようになり、経営者としての考え方も大きく変わりました。《何のために事業をやるのか》という事業目的を自覚するようになったのも、その頃からでした」

法人化当時、20人足らずだった従業員は現在、487人を数える。一方、従来の卸売業に加えて、ショールームやギャラリー・ショップなどの小売店を東京・大阪を中心に全国の主要都市に36店舗を構える。さらに顧客ニーズの高かった一枚板の天板製造を目的に関家具工房木馬を設立して、《メーカー〜卸売業〜小売店》という独自の垂直統合経営を実現している。これらの転機となったのは、約30年前のアメリカでの視察体験だった。

「視察に行ったアメリカでは、強いインパクトを受けました。日本では、タンスなどの箱モノ、食器棚や本棚などの棚モノが中心で、大川は箱・棚モノの生産地でした。しかし、アメリカは、ソファーやベッド、ダイニングセットなどの脚モノと呼ばれる家具が中心でした。今後、日本も洋式化して脚モノ家具が中心になると考えて、いち早く脚モノに軸足を移しました。そして、今日では家庭用家具だけでなく、オフィス向けやホテル・レストランなどの業務用、福祉・医療向けのメディカルファニチャー、商業施設向け什器まで販売先が大きく広がりました。いま振り返っても大きな決断だったと思います」

カメルーンに木材の買い付けに行った時に現地の住民と並んで映った関社長(左)。カメルーンの巨大な木材と関社長(右)。関社長は毎年、海外へ木材の買い付けに出掛けている。

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〝現在〞という時代への視点
企業生き残りの条件は環境変化への対応力。そのカギとは

 「今日、家具の流通業界では大型チェーンへの対応で取引先も変化し、商品も大きく変化して、当社の得意先も様変わりしています。最初、家具小売店向けの商売でしたが、新しいタイプのインテリアショップをはじめ、家具小売店以外の業態にも広がっています。どの業界でも今後、さらに大きな変化があるでしょう」 「企業が生き残るための条件は強さや大きさでなく、経営環境の変化に対応ができるかどうかです。いち早く適切に変化に対応していくことが大事です」

環境変化に対応していく上で関社長が、〝カギ〞として考えているのは社員の発案を受け入れて、社員の意欲をカタチにしていく取り組みだ。

新世代のビジネスリーダーへ
「金のない創業は〝吉〞」「仕事を楽しんで堪能せよ」

「独立時に安易な借り入れや出資金などで創業すると、商売の甘さとなり、失敗しがちです。むしろ創業時に資金が無いと、その分頭を使って知恵も出ますので、うまくいくものです」

創業50年の関社長は自らの経営者人生を振り返って、事業を成功させる上での努力と準備、そして気合の大切さを説く。これらを踏まえ、関社長は新世代の若手経営者や起業家らに次のようなエールを贈る。

「社員に対しても、《楽しくなければ仕事じゃない》と言っています。起業したのであれば、とにかく仕事を楽しんで堪能してください。しかし、仕事を楽しむには、その仕事で日々、利益を上げ続けなければなりません。当社も創業以来、日次決算で即座に手を打つようなスピーディーな経営を心掛けています」「今後は時流や市場の変化も速くなっていくので、ビジネスリーダーはスタッフの意見に耳を傾けて変化に対応することで時流にあった新しい市場を切り拓いて、成功してほしいと思います」

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関 文 彦 氏株式会社関家具代表取締役社長

1942年4月17日生、福岡県大川市出身、福岡大商学部卒。大学を卒業した1968年4月にトラック1台で家具の卸売業として独立、創業する。1982年11月に法人化。「お客様満足、社員満足、地域社会貢献」を理念に企業経営に取り組む。創業以来、日次決算を採用して、赤字決算はナシ。趣味は歌舞伎、世界の辺境旅行、野球、ゴルフ、読書など。