株式会社ふくや代表取締役会長川原正孝氏

vol.44Special Interview

川原正孝氏株式会社ふくや代表取締役会長

創業70年、明太子づくりで生み出す、博多の明るい魅力・地域との太いきずな・未来への種子まき

 博多名産「明太子」を世に送り出した株式会社ふくやは、創業70年という節目を迎えようとしいる。創業者であり、博多独自の調味液漬け明太子を考案した川原俊夫氏による地域貢献の取り組みは今日、企業のDNAとして受け継がれている。ふくや会長であり、福岡商工会議所副会頭を務める川原正孝氏に企業としての地域貢献のあり方や今後に向けた抱負などを聞いた。

創業70年、地域貢献の姿勢に刻まれる創業者のDNA

「なぜ、ふくやは熱心に地元を応援するのか?」という質問をよく受けます。 今日でも、「稼いだ分は、すべて地域に使っていく」という、ふくやの創業者である父・川原俊夫の理念が生き続けています。

ふくやは、商売で利益を出していくことで会社を強くして雇用を守り、人材を育てていきます。利益に対する税金を払って、残った利益を社会へ還元することが、ふくやの姿勢です。戦後、引き揚げて来た父を博多の人たちが受け入れてくれて、博多祇園山笠にも一緒に出してもらいました。そうした好意に対して、父は「地域に恩返しをしないといけない」「地元の人たちのために役立ちたい」という思いを強く持っていました。

その思いに加えて、太平洋戦争を体験したことで父の人生観が変わったと思います。戦前、父は満州で満州電業社という電力供給会社に勤めていました。戦時中は将校として伊良部島に赴任し、その後宮古島の司令部で終戦を迎えました。沖縄戦線の生き残りだった父は、「いままでは自分のための人生だったが、生かされた身なので、これからは何か役に立つことをしたい」との考えに思い至ったようです。

そして、サラリーマンでは何かしなければいけない時に動けないので、あえて商売をやることで自分の時間とお金を稼いで、それらをすべて地域のために使おうと決めたようです。いわば、ボランティアをするためにつくった会社が、ふくやなのです。
「会社の目的は、税金を納めて、雇用を守ることである」というのも父の言葉です。私が銀行を辞めて、ふくやに戻った頃は法人でなく、個人商店でした。父に「なぜ、法人にしないのか?」と尋ねたら、何と「法人にすると、納める税金が減るからだ」という答えが返ってきました。

山笠

 「地域に恩返ししたい」「人々の役に立ちたい」と考えていた父にとって、福岡市内での納税額で1番になることが夢だったと思います。1979(昭和54)年に父は、念願だった福岡市の納税額ナンバーワンになり、翌年亡くなりました。ですから、誰からも抜かれることなく、父は自分の夢を実現しました。

 当時の最高税率は75%で、さらに市県民税が18%だったので、たとえば2億円稼いでも手元に残るのは、わずか1400万円でした。父は、ほとんど税金として納めていたので、相続時の財産は中洲本店の土地と自宅ぐらいしかなく、税務署からは、「これだけなのか」とあきれられました。
もっとも、父にとっては当たり前のことだったので、草葉の陰で「してやったり」と、笑っていたかもしれませ(笑)

祭りなどで培った関係性が、地域に親睦と融和をもたらす

地球温暖化や生物多様性の減少、宗教や民族対立など、私たちは今、地球的・人類的ともいえる諸課題に直面しています。
これらの課題は、種々の要因が複雑に絡まりあって生じているため、一つの学問体系だけでは、根本的な解決に結びつけることが困難です。

祭りなどで培った関係性が、地域に親睦と融和をもたらす

 「山笠をはじめとするお祭りは、地域の親睦と融和に役立っている」という父の考えは、今日も引き継いでいます。親睦とは祭りに出ることであり、融和とはトラブルなどでギスギスした関係にならず、何かあった場合でもはっきりと意見が言える関係といえます。

 博多は誰でも受け入れてくれるまちなので、疎外感を感じません。そして、博多の人たちは祭りが大好きで、山笠や博多どんたく、中洲まつりなど年中、いろいろな祭りや行事があります。東京をはじめとする各地から博多へ来た人たちが、祭りや行事などに参加すると、地元の人たちは、仲間として認めてくれます。なかでも最も関係性が強いのは、祭りなのです。

いま、いろいろな土地からいろいろな人がやって来ることで福岡・博多の人口は増えています。移り住んできた人たちが、祭りなどを通して地域に溶け込むことができたら、彼らにとっても最高にすばらしい土地になるのではないでしょうか。

製法公開のオープンイノベーションで1000億円市場を育む

いま、明太子の市場規模は1000億円以上といわれています。調味液漬けの明太子を考案した父は、製法特許や登録商標を取得することなく、作りたい人には誰でも製法を教えました。
「もしも、ふくやが特許や商標を押さえて、市場を独占していたら……」という話も時々お聞きしますが、その場合は逆にいまの10分の1以下の市場規模になっていたでしょう。ふくやは卸売をせずに直売のみです。ですから、いろいろな明太子メーカーが誕生して、いろいろなところに出店して売り出したことで昭和四十年代に明太子が全国的に広がり始めました。
そして、1975(昭和50)年に新幹線が博多駅へ乗り入れて全線開業したことが一つの契機になって、博多の名産品として広く知られるようになりました。当社1社だけでは無理だったので、みんなで明太子を広げて、市場を大きくしたという思いがあります。

今秋、櫛田神社「清道」前に博多伝統芸能振興会館が誕生

追い山で舁(か)き山が櫛田入りをする清道の正面に建つ自社ビル1Fに今秋、博多伝統芸能振興会館(仮称)がオープンします。
以前は、明太子の製造工場と販売店舗として使っていましたが、製造拠点を『ふくやフーズファクトリー』(福岡市東区社領)に集約した後は、1階の店舗を飲食店に貸していました。
その店舗設備が老朽化して改装を考えていた時に商工会議所から博多券番のけいこ場を移転したいとの相談を受けました。場所も櫛田神社の正面で、すぐ近くには博多町家ふるさと館、はかた伝統工芸館もあるので、博多らしい最適な立地ではないかと考え、お貸しすることにしました。

博多伝統芸能振興会館では、博多券番のけいこ場に舞台と見学席を設置して、観光客らが博多芸妓のおどりを観劇できます。また、博多にわかや博多独楽(こま)、筑紫舞などの伝統芸能も見学できる体験型文化施設になる予定です。小さいながらも観光バス1台分ぐらいの観光客は収容できるので今後、博多の新たな観光スポットになっていくのではないでしょうか。

福岡・博多は伝統芸能に限らず、スポーツ面でもプロ野球チームをはじめ、プロサッカーチームやプロバスケットチームがあり、さらに大相撲も毎年やって来ます。また、博多座や福岡シティ劇場などの劇場やホール、文化施設も数多く、それらがコンパクトにそろっています。
今後も福岡・博多が、大都会になる必要はなく、逆に都会から外れることもなく、いまのような都会と田舎という両面の魅力を兼ね備えたまちづくりを取り組むことで今後も発展していくと考えます。

写真

川原正孝氏株式会社ふくや 代表取締役会長

1950年3月18日生、福岡市出身。福岡高校~甲南大学経営学部卒。大学卒業後、1973年福岡相互銀行(現西日本シティ銀行)に入行、1979年株式会社ふくやに入社、1986年常務取締役、1994年代表取締役副社長、1997年代表取締役社長を歴任して、2017年4月代表取締役会長に就任。2016年12月福岡商工会議所副会頭に就任。趣味は博多祇園山笠。自他共に認める山のぼせ。モットーは「地元を大切にすること」